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2008年11月30日 (日曜日)

銀座のど真ん中にも教会があります(4)~最終回~

そしてたっぷりと神様の愛を感じて癒されて、自分の心の中にきちんと厳しいメッセージを受け取れる状態が整えば、どんな耳当たりの悪いメッセージを聞いても自分のこととしてきちんと受け止められるようになるでしょう。

私は過去において、母教会の厳しいメッセージに恵みを感じられず、神様が遠く離れてしまったような感覚に襲われてことが何度もありました。

自分の心がそのことによって傷つけられてきた、という側面もあるということを強く感じています。

もちろん神様が救われた者を見放すことなどないのは、聖書のみことばにしっかりと約束されていることなので疑う余地などないのですが、心が弱っているときは気分の浮き沈みや振幅が激しくなっていますから、いろいろな疑いの気持ちが起こり、確信が揺らいでしまうことがあるのです。

そういう弱さがあるからこそ神様を求めているわけで、私の心の飢え渇きは冷静に考えれば正常なものなのです。

しかしメッセージの内容によっては、本当にどん底にたたきつけられてしまったような気分になることがありました。

そうしたときに、説教者に対してある種の憎しみを覚えてしまう自分自身もイヤでした。

そういう自分自身の醜さは十分承知しています。
そうであればこそ、このような者をも愛して、ご自身の御ひとり子であるイエス様を十字架に付けてまで、罪の赦しと永遠のいのちを与えてくださった神様の愛と恵みと慈しみが必要なのです。

そうした神様のあふれる愛を感じさせてくれるメッセージに飢えていたのだと思います。

今はいろいろな意味で、母教会を離れて他教会の牧師先生のメッセージを聴かせていただいていることが、自分を回復することにつながっていると思っています。

ですから今回、銀座教会を訪れたことも、私にとってはとてもよかったです。

しばらくはこのパイプオルガンの音色に包まれて、神様のご臨在を感じていたいという気分です。

初めて行った教会ですから、お互いに顔も名前もわかりません。
クリスチャンになって以来、これだけ大勢が集まる主日礼拝に出席するのも初めてでした。

しかし同じ信仰を持っている方々の中に入って、心を合わせていること、それだけで私は満足でした。
自分のように人の輪に積極的に入るのが苦手な人間にとっては、こうしたその他大勢の一人でいられる雰囲気はとても居心地がいいのです。

続けて通ってみたい教会でした。

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